名古屋名物、名古屋のきしめんと言えば、
きしめんよしだ【吉田麺業】 通販もどうぞ。

よくあるお問い合わせ

お問い合わせ

きしめん辞典

トップ >> きしめん辞典

きしめん辞典book

きしめんに関する
あらゆる知識をご紹介!

  • きしめんの麺はなぜ平たいの?

    名古屋名物「きしめん」はなぜ平たいのでしょうか?

    えびおろしきしめん

    ▲きしめん(写真は名古屋限定といわれるえびおろしきしめん)

    きしめんが平たいのは、昔、ゆで時間と燃料費を節約する必要があったから

    きしめんはうどんより少し平たいです。

    麺を平たくする理由は、ゆで時間が約半分程に短縮でき、燃料代の節約にもなるからです。

    きしめんは江戸時代から庶民の間で親しまれていました。

    当時の燃料は薪。燃料節約の必要性が高い時代です。

    燃料費を節約でき、時間も短縮できるきしめんは、名古屋人の経済観念に合っていたので、広まっていったのでしょう。

    ※諸説あります。

     

    きしめんとうどんの違いは?(麺の幅、厚さの基準)

    きしめん、うどん、麺の幅や厚さに基準はあるのでしょうか。

    • 手打ち麺:基準なし
      最近は幅広麺がブームです。
      幅が5センチ近くもある麺を出している店もあります。

    • 乾麺:基準あり
      幅4.5mm、厚さ2mm未満。

      「幅4.5mm厚さが2mm未満の帯状に成形したものにあっては、干しひら麺、ひら麺、きしめんまたはひもかわと記載することができる」
      ※日本農林規格(JAS)の乾めん類品質表示基準より。

     

    名古屋のきしめんの特徴

    きしめんはうどんより平たいので、うどんとはまた違った食感を楽しめます。

    もちもち食感で、やわらかい中にもしっかりとしたこしがあり、つるっとしたのど越しであることが名古屋のきしめんの魅力です。

  • 名古屋名物の中で最も古い「きしめん」

    「きしめん」はいつ生まれたの?名前の由来は?

    きしめん

    ▲きしめん(やわらかな喉越しと、もっちりとした中にコシのある歯応えが名古屋の麺の特徴です)

    きしめんは江戸時代生まれ

    名古屋名物の多くは昭和30年代の高度経済成長期に生まれています。
    きしめんは最も古い歴史を誇っており、江戸時代生まれです。

    平打ちした麺をたまり醤油を使ったつゆにホウレン草などの青菜、煮揚げ、花がつおを盛り付けたスタイルは江戸時代の終わりから明治時代初期には確立されていたといわれています。

     

    きしめんの名前の由来ははっきりとはわかっていない

    きしめんの名前の由来については諸説ありますが、どれも推測の域を出ません。
    きしめんに関する文献が残っていないのは、名古屋の庶民によって育まれた大衆文化だからでしょう。

    ただ、有力説はありますのでご紹介します。

     

    きしめんの名前の由来/有力説

    1. 棊子麺(きじめん)」説
      「棊」とは「碁石」のこと。
      碁石形の麺に、きな粉を付けて食べた「きじめん」が転じて「きしめん」になったという説。
      丸い碁石の形をした麺は中国から伝来したといわれています。

    2. 雉麺(きじめん)」説
      江戸時代、尾張藩の殿様が雉(きじ)肉入りの田舎うどんを好んで食べたことから、「雉麺」がなまって「きしめん」になったという説。
      きしめんに入る油揚げはその名残ともいわれています。

    3. 紀州麺(きしゅうめん)」説
      紀州藩の殿様が尾張藩の殿様に贈った麺が「紀州麺」と呼ばれ、いつの間にか「きしめん」になったという説。

    3つのうち、最も有力な説は「棊子麺(きじめん)」説です。

  • 製麺業者が語る!明治~令和の「小麦粉」の歴史

    明治23年創業きしめんづくり一筋の当社・吉田麺業が、製麺業者の視点から明治から令和までの小麦粉のあゆみを紹介します。
    ※あくまで吉田麺業の見解です。

    きしめんの乾燥

    ▲きしめんの乾燥工程(吉田麺業工場)

    明治から戦前までは国産小麦が手に入りやすかった

    吉田麺業の位置する名古屋市中川区荒子には田畑が広がり、原料の小麦を地元で簡単に調達することができました。

    明治時代は自給自足ができていたのです。
    明治、大正、昭和の戦前までは国産小麦を使用して麺づくりをしていました。

     

    戦後、食料難で小麦粉が手に入りにくくなる

    終戦後は深刻な食糧不足におちいったため、外国産の輸入小麦に頼り、麺・パンなどを戦前より多く食べるようになりました。

    いまに比べれば黒っぽい質の悪い小麦粉でしたが、みな食べ物に困っており、食べ物があるだけでありがたいと感じる時代でした。

    高度経済成長期になると一時期、漂白された真っ白な小麦粉が流通し、白い麺が好まれるようになります。

     

    平成の後半からは国産小麦の生産が広まる

    2010年代ころから小麦粉の品種改良が進み、めん適性のよい小麦が国内で作られるようになりました。
    麺づくり専用の小麦粉も開発されました。
    国産の小麦は少し黄色いのが特徴です。

     

    吉田麺業では、北海道・愛知県・三重県産などの国産小麦粉をブレンドし、化学的な保存料などの添加物は使わず、昔ながらのきしめんをつくり続けています。

    きしめんづくりのこだわり

  • 名古屋市内で明治から続く「きしめん工場」の歴史

    きしめんの製造販売において、名古屋市内で特に長い歴史を誇る1890(明治23)年創業の当社・吉田麺業(名古屋市中川区)。

    明治創業から現在までの工場のあゆみを紹介します。

    中日新聞-戦争を生き抜いた味-きしめん

    ▲2023年8月12日付け中日新聞に紹介された「戦争を生き抜いた味」

    明治23年創業、田畑が広がるなかに木造工場

    吉田麺業初代の吉田清兵衛は、農作業の少ない冬にできる副業として製麺業を創業しました。
    明治のころ、荒子には建物が少なく田畑が広がり、原料の小麦を地元で簡単に調達することができたのです。

    明治、大正、昭和と、のどかな田園地帯である中川区荒子で製麺業をつづけていきます。

    昭和20年、名古屋大空襲により工場全焼

    名古屋大空襲により多くの建物が焼失するなか、吉田麺業の工場も全焼しました。
    終戦間際、昭和20年のことです。

    吉田麺業四代目社長・吉田孝則(92)は戦後の焼け野原から工場を立て直し、今日まで78年麺づくり一筋で歩んできました。

    明日、命があるかどうかもわからない時代。
    中学生だった社長は間近で焼夷(しょうい)弾が飛んでいく音を聞き、恐怖で震えていたといいます。

    終戦の2、3年後から製造を再開

    全く何もない焼け野原。
    終戦後2、3年は麺が製造できない状態でしたが、バラック(仮設小屋)を建てて製造をはじめました。
    製麺用の機械をそろえて木造工場が完成したのは、戦後7、8年ころです。

    戦後から現在まで何度も増改築を繰り返す

    工場は、4、5回増改築を繰り返し、木造から鉄骨に。
    名古屋の昔ながらの麺を提供するために、麺づくりに適した自社開発の機械を増やしていきました。

    工場では今日も機械と職人の手による、もちもちとした、こしのある名古屋の麺をつくり続けています。

    きしめんづくりのこだわり

  • 味噌煮込みうどん、味噌煮込みきしめん、どちらがおいしいの?

    名古屋名物「味噌煮込みうどん」「味噌煮込みきしめん」どちらがおいしいの?

    味噌煮込みきしめんの麺

    「味噌煮込みうどん」「味噌煮込みきしめん」、どちらがおいしいのかよく質問をいただきます。

    結論は、好みによります
    一般的に、違いは麺の形状のみ。

    土鍋調理のための味噌煮込み専用麺には一般的に塩が入っていません。
    塩の有無は麺のモチモチ感に関わり、塩を入れない麺では比較的固い食感となります。

    そのため、味噌煮込み専用麺ではきしめんもうどんも、通常のうどんやきしめんよりも麺がかたく、形状の違いからうどんのほうがかたいです。

    かたい麺が好きな人は、味噌煮込みうどん

    うどんはきしめんと比べて断面が太いので、噛みごたえがあります。
    かたい麺が好きな人は、味噌煮込みうどんが合うでしょう。

    やわらかい麺が好きな人は、味噌煮込みきしめん

    きしめんはうどんより平たいので、やわらかい触感になります。
    やわらかいほうが好きな人は、断然味噌煮込みきしめんがおすすめです。

    いきなり土鍋で調理せずに沸騰させた別の鍋に麺を入れゆでてから、沸騰させた土鍋に麺を入れることで、さらにやわらかく食べやすくすることができます。

     

OFFICIAL SNS
  • Instagram
  • Facebook
PAGETOP