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きしめん辞典

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きしめん辞典book

きしめんに関する
あらゆる知識をご紹介!

  • きしめんといもかわうどん

    その1
    井原西鶴の『好色一代男』や十返舎一九の『東海道中膝栗毛』といった江戸時代の書物に「いもかわうどん」なる平打ちのうどんについて書かれています。
    その発祥地は尾張国(現在の名古屋)ではなく、三河国芋川(現在の刈谷市北部)。
    このいもかわうどんがきしめんのルーツであるという説もあります。

    その2
    尾張と三河を隔てて流れる境川の三河側、現在の刈谷市北部が三河国芋川にあたります。
    江戸時代、芋川にあった茶店で売られていた平打ちのうどんがいもかわうどんとよばれていたようです。
    ただし、わかっているのは平打ち麺ということだけで、それ以外は謎に包まれています。

    その3
    現存する書物でいもかわうどんが登場するのは、江戸時代初期の1658年に浄土真宗の僧侶で仮名草子作家の浅井了意(あさい りょうい)が神社仏閣名所旧跡を訪ねながら江戸より宇治までの旅を記した『東海道名所記』が最古。
    現在のきしめんが確立されたのは、江戸末期から明治初期なので、約200年以上の時を経て、三河で生まれたいもかわうどんが名古屋へ伝わったとしてもおかしくはありません。

  • 「きしめん」という名前の由来

    その1「雉麺(きじめん)」説
    江戸時代、尾張藩の殿様が雉(きじ)肉入りの田舎うどんを好んで食べたことから、「雉麺」がなまって「きしめん」になったという説。
    きしめんに入る油揚げはその名残ともいわれています。

    その2「紀州麺(きしゅうめん)」説
    紀州藩の殿様が尾張藩の殿様にお土産として献上した麺が「紀州麺」と呼ばれ、いつの間にかそれが転じて「きしめん」になったという説。

    その3「棊子麺(きしめん)」説
    「棊」とは「碁石」のこと。平たく延ばした生地を竹筒で碁石の形に抜いた、丸い碁石の形をした麺が中国から伝来し、後に平たくて細長い麺になっても名前はそのまま残ったという説。

  • 「名古屋めし」の中で最も古いのがきしめん

    名古屋めしの多くは昭和30年代の高度経済成長期に生まれていますが、きしめんはなんと江戸時代。
    平打ちした麺をたまり醤油を使ったつゆにホウレン草などの青菜、煮揚げ、花がつおを盛り付けたスタイルは江戸時代の終わりから明治時代初期には確立されていたといわれています。

  • きしめんの日は何月何日?

    食欲の秋である10月と、きしめんの特徴であるツ(2)ル(6)ツル感を組み合わせて毎年10月26日「きしめんの日」として愛知県製麺工業協同組合が制定しました。
    きしめんをもっと多くの人々に食べてもらうのを目的に、この日は当社直営店もイベントを実施しています。

  • きしめんの名前の由来

    江戸時代から食べられていたというきしめん
    その由来は碁石形の麺に、きな粉を付けて食べた「きじめん」が転じて「きしめん」になったという説が有力です。
    しかし、このほかにも紀州藩が尾張藩に贈った「紀州麺」に由来するという説や、大名がキジの肉を入れて食べた「雉子麺」が起源というものなど、様々な説が伝えられています。
    しかし、どれも推測の域を出ません。きしめんに関する文献が残っていないのは、名古屋の庶民によって育まれた大衆文化であるからでほかなりません。

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