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製麺業者が語る!明治~令和の「小麦粉」の歴史

明治23年創業きしめんづくり一筋の当社・吉田麺業が、製麺業者の視点から明治から令和までの小麦粉のあゆみを紹介します。
※あくまで吉田麺業の見解です。

きしめんの乾燥

▲きしめんの乾燥工程(吉田麺業工場)

明治から戦前までは国産小麦が手に入りやすかった

吉田麺業の位置する名古屋市中川区荒子には田畑が広がり、原料の小麦を地元で簡単に調達することができました。

明治時代は自給自足ができていたのです。
明治、大正、昭和の戦前までは国産小麦を使用して麺づくりをしていました。

 

戦後、食料難で小麦粉が手に入りにくくなる

終戦後は深刻な食糧不足におちいったため、外国産の輸入小麦に頼り、麺・パンなどを戦前より多く食べるようになりました。

いまに比べれば黒っぽい質の悪い小麦粉でしたが、みな食べ物に困っており、食べ物があるだけでありがたいと感じる時代でした。

高度経済成長期になると一時期、漂白された真っ白な小麦粉が流通し、白い麺が好まれるようになります。

 

平成の後半からは国産小麦の生産が広まる

2010年代ころから小麦粉の品種改良が進み、めん適性のよい小麦が国内で作られるようになりました。
麺づくり専用の小麦粉も開発されました。
国産の小麦は少し黄色いのが特徴です。

 

吉田麺業では、北海道・愛知県・三重県産などの国産小麦粉をブレンドし、化学的な保存料などの添加物は使わず、昔ながらのきしめんをつくり続けています。

きしめんづくりのこだわり

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