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きしめんよしだ【吉田麺業】 通販もどうぞ。

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名古屋市内で明治から続く「きしめん工場」の歴史

きしめんの製造販売において、名古屋市内で特に長い歴史を誇る1890(明治23)年創業の当社・吉田麺業(名古屋市中川区)。

明治創業から現在までの工場のあゆみを紹介します。

中日新聞-戦争を生き抜いた味-きしめん

▲2023年8月12日付け中日新聞に紹介された「戦争を生き抜いた味」

明治23年創業、田畑が広がるなかに木造工場

吉田麺業初代の吉田清兵衛は、農作業の少ない冬にできる副業として製麺業を創業しました。
明治のころ、荒子には建物が少なく田畑が広がり、原料の小麦を地元で簡単に調達することができたのです。

明治、大正、昭和と、のどかな田園地帯である中川区荒子で製麺業をつづけていきます。

昭和20年、名古屋大空襲により工場全焼

名古屋大空襲により多くの建物が焼失するなか、吉田麺業の工場も全焼しました。
終戦間際、昭和20年のことです。

吉田麺業四代目社長・吉田孝則(92)は戦後の焼け野原から工場を立て直し、今日まで78年麺づくり一筋で歩んできました。

明日、命があるかどうかもわからない時代。
中学生だった社長は間近で焼夷(しょうい)弾が飛んでいく音を聞き、恐怖で震えていたといいます。

終戦の2、3年後から製造を再開

全く何もない焼け野原。
終戦後2、3年は麺が製造できない状態でしたが、バラック(仮設小屋)を建てて製造をはじめました。
製麺用の機械をそろえて木造工場が完成したのは、戦後7、8年ころです。

戦後から現在まで何度も増改築を繰り返す

工場は、4、5回増改築を繰り返し、木造から鉄骨に。
名古屋の昔ながらの麺を提供するために、麺づくりに適した自社開発の機械を増やしていきました。

工場では今日も機械と職人の手による、もちもちとした、こしのある名古屋の麺をつくり続けています。

きしめんづくりのこだわり

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